3回目の流産はお腹で少し育とうとしてくれていた事もあり、入院して前日からゆっくり処置を行いながら受けることになった。
告知を受けた後、散々に泣き叫び頭から煙が出るようにフリーズ状態の自分だったというのに、入院当日、当然ながら鼓動を止めてしまっている我が子の姿をもう一度確認する。再確認しなければならない。
もちろん動いてはいなかった。小さな形だけを残し、止まってしまっていた。
何も言えなかった。
母と父に付き添われながら入院病棟に行き、大丈夫だからと帰した後に仕事を終えた旦那が来た。ハッキリとした記憶はないけどその時は涙が出なかったと思う。
飄々と一日の流れを話しただけだったような気がする。
旦那が帰った後、子宮口を広げる処置の時間が来た。
子供をお腹から出すために子宮の入り口をラミナリアという棒状のものを入れて広げるというもの。これがそれまで2回経験しているとは言え相当痛い。人によっては陣痛より痛いらしい、とネットで目にしたことがある。
ま、陣痛を経験してないからわからないけど、と一つ皮肉を述べておいて・・・・・。
この時は少し大きく育っていたので今までよりも本数的なものが多かったのか処置した医師が下手だったのかは定かではないが、今まで経験したことのない激痛で、のたうち回った。痛すぎてせっかく流さずにいれた涙が勝手に流れて抑えつけてくれている看護師さんの腕に傷ができるくらいしがみついていた。
『薬を抜くために縛り付けながら治療を』という画を想像していただければいいかと。
とにかく断言できる。今まで生きてきた人生の中でダントツ、群を抜いて激痛だった。
2度とあの痛みは味わいたくない。
ただでさえ心の痛みだってもう異常レベルだっていうのに。
勘弁してください、と病院の天井越しに天を仰いだ気持ちだった。
その夜はそのままラミナリアを入れての就寝だったので、ずっと子宮からお腹全体をつままれてるような痛みが続いた。しかも、この子が出てきやすくするために広げていたわけで、まだ一応の母としてこの子を身ごもっている私は、この子が自分で出てこようとしているとハッキリわかったのだ。私を苦しめないためか楽にしてあげたいと思ってくれたのか。
トイレに行ったり来たりのなかなか明けない夜。そんな小さな我が子の心が身体中に染み込んできて、とにかく離れたくない、もう少しだけこの子と一つでありたい、と懇願しお腹を撫で続ける長い夜だった。
明けて欲しくないなかなか明けない夜。何だろ、この気持ちは。
人間の感情は複雑すぎる。