私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

10、外へ出れない

空気が薄くて世界はここにしかないように感じて、一人じゃないのにとにかく一人と感じる毎日。

少し前までお腹にいた命はあっけなくまた、いなくなっちゃったんだもの。

取り上げられちゃったんだもの。

 

空虚って言葉はこういう気持ちにとても似合っている。おセンチなんてとうのとうに通り越して自分の体が存在してることさえもわからなくなるくらい空っぽだった。

これではまずい、と奮起して外へ散歩へ出向いても子供を見かけるだけでまた濃度の薄い堪えられない涙が流れる。発狂したくなる。そんなことは出来ないから手の甲を抓って紛らしながらまた家へ逆戻りする。

あの、子供の頃に注射を打つ時、痛いことを紛らわすために抓った時と同じ。

出ては敗れ、奮起しては破れ。その繰り返しをしているうちに完全に疲れてしまった。

 

外に出ても家にいても苦しい。居場所がない。

 

それでも父や母は

「それでは困る。鬱になってしまうよ。外の世界へ出なさい、世間と関わらないと」

と言うのだ。

そうだな。鬱になったら困る。鬱になってはいけない。また一踏ん張り二踏ん張りして奮起して元気にならなきゃいけない。

 

今思えばこれが間違いだった。

人は体の疲労や病気には自分も含め周りの人間にも伝わりやすい。けれど、こと心の事になると自分も周りも鈍感になる。

昔、戦争を経験したり高度成長期を経験してやりたい事も満足にやれなかった世代の人たちをはじめ、部活動や諸々の活動、カルチャーに至るまで『ど根性論』が横行しあの懐かしき人気漫画の「諦めたらそこで試合終了ですよ」世代の私でさえまだ、『頑張らねば、諦めなければ夢は叶う論』『弱音を吐いたら負け。泣くな。弱味を見せるな』ギリギリ世代の中にいる。

そんな日本人にとってメンタルの病に対してはまだ恥ずべきものだと言う認識がまだ蔓延しているのだ。

大変だったのはわかる。弱音を吐いてる暇はないし弱音を吐くことを許されない世の中だったのだろう。戦争を経験してる人なんて特にその極限状態へと洗脳されていたようなものではないかと勝手ながら思うのだ。きっと静かに心を病んでた人は分かりやすく病んでしまった人の影にひっそりと隠れ、それでも今よりも格段に多かったに違いない。

その辺、今の若い子たちはすぐに諦める、とかやる気を感じないとか言われてるけど私から見ればとても懸命な自己防衛術を元々持ち合わせているのではないかと思う。

精神的な病気をやる気の問題だと思っている人がまだ多くいるこの国にはさらに言えば『カウンセリング』的なものさえもまだまだ、認知もされていないし数も少ない。それって最終段階じゃね?的なイメージだ。やばくね?的な言われ様。

仕事においても、また家族や夫婦に関しても当たり前のようにカウンセラーが付いていたりする欧米とはあまりにもかけ離れていて、ただでさえ疲弊してる自分自身が奮い立たせて見つけなければそういったカウンセリングや精神的療法を行なっている所に出会うことさえできないのだ。

心療内科、精神科とは全く別物である。

 

外へ出ることの出来なくなっていた私は何よりこの気持ちをただ話せる、または共感してくれる人が欲しかった。

どこへ行っても誰と会っても私は苦しくて。

それに、状況を知ってる人に至っては私は

『腫れ物』

なのだ。と。そう感じざるを得なかった。