それからかなりの時間を費やしながら必死でネットを検索して、同じように流産・死産を経験されているカウンセラーの先生を見つける事ができた。
藁にもすがる思いでネットからすぐにメールを送ると直後に返信をくれた。
こちらに負担をかけさせないようにだろうか、区の地域センターの一室でのカウンセリングだった。
先生はとても若くて綺麗でとっても痩せていて、一瞬で同じような悲しい想いを抱えている人なんだとわかるような出で立ちの人だった。繊細で柔らかくて少し哀しい、そんな空気を纏っていた。それでも、とても心強い。
不思議な感情が「初めまして」の瞬間、湧き上がったのを覚えている。
温かいお茶を昔ながらのヤカンから入れてくれてゆっくりと話し始めた。ルイボスティー。妊活中の女性なら必ずや口にするだろうルイボスティー。
それまでの経緯や上手く言葉に言い表せないその時の心情をゆっくりと引き出してくれて自分の気持ちが少し溶けていくような時間だった。
「それはお辛いですね。わかります。頑張りましたね。」
そう一緒に涙を流しながら言ってくれた瞬間。久しぶりに今までとは違う、濃い、しょっぱい涙がブクブク溢れ出てきたのだ。
そうか。この言葉が欲しかったんだ。
わがままかもしれないけど、
「頑張ったね。辛かったね。」
と言って欲しかったのだ。
自分の中で色々なものが落とし込まれ塗りつぶされていくようで、少しづつ蘇生していく感覚。
子を授かり、約十ヶ月の間自身のお腹にその命を宿し大切に育て、無事にこの世に産み落とす事が出来た人は当たり前のように
「頑張ったね。お疲れ様。」
と言われるだろう。
同じように子を授かり、お腹に宿した時間は短いけれど大事に思う気持ちは同じともそれ以上にともありながら、否応なく引き離されてお産と同じような痛み、プラス心の痛みをも味わっているのにその言葉をかけてくれる人は誰一人いない。
ただ褒めて欲しかったのかもしれない。
辛かったね、という共感とともに、頑張ったね、という褒め言葉が欲しかったのかもしれない。それだけできっと大分救われていたかもしれない。
もしもこれを読んでくれている方で現在、近しい人が同じような先の見えない真っ暗闇の中にいるのならその言葉を一度かけてあげてください。
頑張ったんです。成功はしなかったかもしれない。でも体や心の痛みは普通に出産できた人よりも何倍も酷使してそれでももがいて何とか這い上がろうとしている。
「頑張ったね。辛かったね。お疲れ様。」
と抱きしめてもらえたら、きっと意味のある温かい涙が流せて少しでも楽になると思うのです。
自分自身のことだけじゃなく、子供を宿した親として労ってあげて欲しいと心から思うのです。