私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

22、語れない

近頃は周りが子育て世代真っ只中ということもあり、ほぼほぼ会うことがなくなった。きっと子持ちの人たちはそのコミュニティーの中で連絡しあって会っては話をしたりしてるのだろう。

私は一人っ子ということもあり、両親が割と自由な人だったので学生時代から実家で一人で過ごす時間が割と多かったりもして一人の時間にはかなり慣れている。

一人牛丼なんて当たり前だし、一人回転寿司も高校生の頃からやっていた。一人手練れであると自負している。一人バーミヤンは結構気を使った思い出があるが・・・。

『おひとりさま』とかいうわけのわからないトレンドが囁かれている時も鼻で笑ったものだ。無理してやることではない。

 

そんなこんなだけど、私にもいくつかの方面で友人は割と多くいる方だとは思っていたが、最近はめっぽう会うことも少なくなった。

前述したように私が経験した事を経た上で疑問に感じる出来事があったりして縁が切れた友人も何人かいる。私の状況を知ってる数人からは逆に遠慮してのことだろう、全くと言っていいほど連絡もない。

たまに呑み交わすのは当たり前であるが男友達だ。

 

唯一、高校時代からの親友とよべる友人とは変わらない距離感で変わらない友人関係でいれてる気がする。

彼女は現在2人の子持ちで絶賛子育て奮闘中なのだが、私が毎回流産を報告するたびに駆けつけてくれて心の底から悲しみ、一緒に泣いてくれた。

その気持ちにどれだけ助けられたか。どれだけ感謝した事か。

元々、お互いの性格上もあって頻繁に連絡を取り合わずしてもお互いがお互いを親友と呼べる立ち位置にいれてると思える彼女。逆に会った時は今でも私の様子を伺いながらも普通に子供の状況とかも話してくれるのだ。

私はこうして苦しんでる状況を、そして彼女は二人の子供を持っているからこその苦労を同時に語り合える。普通ではあり得ないこの関係性を保っていられるのは私と彼女が出会ってから24年程の月日で作り上げられた宝物だと勝手に思っている。それを持てたことは本当に幸運だ。

 

同じ状況である人と語りたいとも思うことも未だにあるが、そこは以前参加したセミナーを経て、これだけの同志がいるのだな、とわかっただけで今は「どこかで私と同じようにもがき苦しんでる人がいる」と大きなシェルターに囲まれてる気持ちになれてるので、その人たちとは今は直接語り合えなくてもこうして書いてる私の気持ちをどこかで誰かが拾い上げてくれて、小さくてもその人が自分の中で『同志シェルター』を作り上げて欲しいと願うばかりだ。

ここにもいるよーって事を沢山の人に知って欲しいし、大声で叫びたい。

そして願わくば『こだま』として声が帰ってきたとしたらいつかどこかで語り合いたい。とにかく、話して吐き出すことはとても大切。

 

いまだに私も全部を語れる人なんていない。それはきっとどんな人も同じことだから嘆く必要はない気がしている。辛いと思った時に自分に心地よい距離感で一言だけでもその話を汲み取ってくれる誰かがいるだけで、きっと前に進めると思う。

ママ友ばかりが心地よいカフェの外をママチャリで、中の一角をベビーカーで占拠して大声でベラベラ語り合ってるのは不公平だ(笑)

これに関しては私は昔からとても苦手である。群れる事自体が元々好きではないのだけど。

 

これを書いている今も、お気に入りのカフェ(主にお仕事や勉強をするような静かなカフェ)で赤ちゃん・子供連れのママ友たちがわさわさ集まってあーだこーだ言っています。

子供たちは大騒ぎです。注意する親はいません。

 

その瞬間私はイヤホンをつけて遮断をするものです。

他の方も困ったなぁという顔をしています。

外のママチャリは置いてはいけないところに置いてあって、もれなく『違反』札が貼ってあります。

これはいつもなので、毎回帰りに剥がしては何も感じずにまた同じことを繰り返しているのだろうなぁ。

 

ママだろうがそうじゃなかろうが女は群れると自分が大きな存在に変身すると勘違いしやすいのだろう。周りの空気が全く読めなくなる人が多いように思う。

 

そのずうずうしさ、という強さが女性のエネルギー元ならば、いや、群れてる時のみ大きな態度でいるならしょうもない。

私のその親友は『ママ友コミュニティー』が苦手でよく嘆いていたものだ。

そういう人の方が多いのかもとも思う。でも子供同士の関係性の問題で無碍にはできないらしい。

今ワーワー騒いでる群れも、その中のボスキャラ的な人に気を遣ってヘラヘラ笑ったりしてるのかしら。

これもまた悪しき慣習だなぁ。と外側から眺めていられるのは、親になれない自分の一つの特権かもしれない。なんてほくそ笑んでいる、なう。(笑)

 

昔流行った『オバタリアン』という種の人たちの方が一人でズゥズゥとしてるのだからまだ笑える。懐かしい。

 

とにかく、ママ友さんたち。集まるのはいいですが場を弁えていただきたいものです。