私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

SC2、文句が止まらない

いつものように一通りの仕事を終え、少し前に書き留めていたものをこちらにアップさせようと人気の少なそうなカフェに入って(これを探すのが相変わらず任務みたいになっている)席につきコーヒーを一口入れたところなのだが・・・

 

初めて入るほぼ人のいない雰囲気のいいカフェだからこそ、もう一つのフロアにいる方々の話が丸聞こえである。

 

それはまぁ、構わないのだけど外には毎度のママチャリ羅列が見えたのでどうやらママ友的な人たちなのだろう。

この時間はこの人種の方々を避けてのカフェ作業はほぼ皆無であることはもう承知済みで諦めている。

彼女らにも愚痴をこぼしたりなんでもない話をしてストレス解消する権利は大有りですし。

 

ただ、なぜ今日はまたタイムリーにここに綴ろうと思ったのかというと

そのママ様たちが予想通り、期待を裏切らずに昨日の

『小中高休校要請』についてぶつぶつ文句を言っているからである。

しかも文句の内容は急に休みと言われてもまた家の色々が大変でこうしてしばらく外へ出れない的な内容だ。春休みが夏休みみたいになっちゃうわ、と嘆いては笑っている。

自分の子への心配はどこへいってるのでしょうか・・・・・。

 

まぁ、確かにタイミング的にとか急すぎるとか共働きの家庭が混乱するのはいかがなものかしら〜大変だわ〜。

なんて『子なし』の私含めきっと、親になれずに悩んでいる方や親にはなるまいと思ってる人たちはどこか『人事』のように眺めていると思う。

その影響で自分の仕事に支障をきたしては困るという懸念は勿論あると思うが、ほー大変だなぁ。子供さんが沢山いればいるほど大変だなぁ。なんて思ったりもしたのも嘘ではない。失礼は承知です。

 

コロナの感染拡大についてはもう、自分が感染する恐怖よりも自分の家族や親に移してしまうかもしれない事の方が怖くてそこの所意識して(というか元々神経質な私はマスクは勿論異常なまでに除菌を繰り返しているので変わらない)いくしかないと思っている。

自分が感染してしまう、ひいては自分が病気になる事に恐怖を覚えなくなったのは

『自分の死より周りの大切な人の死の方が何万倍も怖い』

という喪失感恐怖症が作り上げた私の新しいステータスなのだ。

 

連日報道される

「何県で何人が新たに感染した」

なんて情報はどうでも良くて、感染した方がその後どのように治療を受けてどのようになったかの方がよっぽど知りたい。

亡くなってからしか報道しないなんて意味がわかない。

不安を煽りたくないとか言って後手に回った情報操作も逆にこれじゃ不安だけ煽ってるように感じるのは私だけであろうか。

 

日本て、いい国なんだけど変なんだよなぁ。変なところが。

 

話は現在、そう、たった今に戻るが・・・

こうしてママチャリを置いてはいけない所に羅列して集団化して周りの迷惑を顧みれなくなっている類の人たちはきっとこの要請が出ようが出まいが文句を言うのだろう。

 

近頃のお笑い芸人に品行方正を求める癖に「面白くなくなった」とか言う。そんなチグハグな物言いと言うか、ただただ何か文句という名の『発信』をしたいのだろうなと。

しかも大抵がこのように周りに聞こえる音量で。

これが不思議だ。

 

ただ、これを書いている今もまだその文句を発信しているママ様たちは私が来る大分前からこちらにいるようなので・・・・

 

「お茶してる時間がある御身分なら子供が休みになってもいいじゃないか」

 

という事だけが私の頭に過り、こちらに落とし込めた、という流れです。

 

きっとこういう方々は子が休みになったら「休みになった意味」を顧みずに無闇に旅行に言ったり出かけたりして感染源に突入したり運んだりしちゃって

 

『意〜味な〜いじゃ〜ん』

状態になるのだろうな。

 

とにかく疾患のある方やお年寄りにとって兵器にならないようにお願いしたいところです。

これも文句になるの?(笑)