私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

36、劣らない

相変わらずココロは日単位、時間単位でも動く。

 

「もう一度チャレンジするのか」

 

ずっと3年もの間この大きすぎる選択肢が背中にずっしりのっかかっていて、その選択肢が大きすぎて頭がこんがらがり日々の小さな選択ができなくなる事が時たまある。

 

どっかの有名な銀座のクラブのママが

 

「大きな選択ができない人は出世できない(ひいては細やかな選択ができなくなるから)」

 

と言っていた。

だとしたら私はもう人としても女としても出世などできようがない。

自然に歳を更に重ねて静かにゲームオーバーを迎える方が楽なのではないかと思う瞬間が多々ある。

でも今現在三十九歳。今この時、

 

「やめた、あー面倒臭いし怖い。やめた」

 

とはなれない微妙な年齢、立ち位置にいて、如何にもこうにも決断できない日が続いている感じだ。

普通に晴れている日が気持ちいいのが大半ではあるのだが、逆に晴れている日が憂鬱で雨の日が楽だなんて時もある。

暗闇くん的に晴れている日の

 

『頑張れる気がするー!』

 

の空気感が美味しい餌になって脳裏に巣繕いやすい状況を演出しやすいのかもしれない。

うつ病の人間にとって天気は物凄い密接に関わってくる。

天気予報でそこんとこも予報して欲しいくらいだ。

 

その常にのしかかってる大きな選択肢の存在感がしんどくて、少し前に久しぶりに旦那に語りかけた。

 

「どうしたらいいかわからないし、どうしたいかが最早わからなくなってる。でもまた同じ思いをする怖さと同じくらい『後悔』する気持ちも怖い」

 

と告げた。根性なしのビビリな私はお酒をまぁまぁな量を飲みながら、しかもテレビゲームをしながら告げた。

いっそ決めてほしかった。そんなことはできるわけないとわかってるくせに、旦那にこの『重すぎる選択肢』を少しでも一緒に担いで欲しかったのだ。ちょっとでも軽くなりたかった。

 

旦那から帰ってきた言葉は少し予想と違っていた。

 

「たとえ授かってうまく行ったとしても今の体の状態じゃ産後の体が心配だ」

と言った。

 

私よりどこか明確にまっすぐと先を見ていたのかもしれない。

 

この時も本人にも告げた事だが彼にはもう自分の遺伝子を持った子供がいるから私のようには『子供が欲しい』とは考えてはいないのだろうと思っている。

父と一緒で私の苦しむ姿を見るくらいならもういい。子供がない人生を二人で。と言う気持ちはきっと大きいと思う。

でもどうしても捻くれてる私の中には彼にはすでに子供がいるからだろう、と言うしょうもない嫉妬心と劣等感がひょっこりと顔を出してしまう。

暗闇くんの顔をしたひょっこりはん。

 

でも『私が欲しいなら』と言うのが彼の選択肢になってるのだろう。

そのためなら協力するよ。と言うのがわかりやすい気持ちなのだと思う。

 

妻である私を一番に考えてくれているからこそ体の心配とともに選ぶ選択肢に『乗っかろう』としてくれているのだろう。

 

この問題に関しては彼に『引っ張って欲しい』と思うのは無理な話なのだ。

体を使うのも覚悟して心を使うのも女の自分なのであってプレイヤーは私。

子供を持つかどうかの『ストーリー』では旦那は私のサポートメンバーなのである。

彼に子供がいなければ少しだけ違った関係性だったのだろうけど...。

 

しかしこの3年で変われたのはこう言う気持ちを本人に吐露する事ができるようになったこと。

前は溜め込んでは爆発して『??』になってる彼に対してまたイライラしての繰り返しだった。

 

男の人は何事もわかりやすく理路整然とまとめてから伝えてあげるときちんと答えくれる、と言うことをこの経験を経て私は学んだ。

そして、そう言う話をした後は必ず

「ありがとう」

と言う言葉をつけるようにしている。

これは絶対に必要なサポートメンバー、いやパートナーへの表現だと思う。

特に男性にはわかりやすく『ありがとうハンコ』を押してあげた方が円満であると思うのだ。

 

そこんとこ、『なんかデキちゃったから~!』と夫婦になるに至ったり、結婚してすぐに問題なく授かり親となって子供中心になっている同じくらいの時期に結婚した家庭より、夫婦関係の絆は深くなったと自負している。

 

結婚していきなり、どん底に落ちた私とそのパートナー。そんじょそこらの絆とは深さが、出来が、違うぜっ!

 

と、どうぞこれくらいは言わせてください。