昨年の春、長い間癌を患っていた母方の叔母が逝ってしまった。
何年も闘病をしていて病状は行ったり来たりを繰り返しながらも余命宣告よりも長く生き抜いた。
闘病中の7年前に私の結婚式があり、あまり旅行などに行ったことがなかったという叔母はその式を機に都会へ出てきて皆で集まり、クリスマスのイルミネーションを見たりして本当に楽しかった、ありがとうと言ってくれた。
いつも優しく後ろで微笑んでるようなタイプの叔母は私が会いに行くたびに、嬉しそうにご飯を用意しては温かい気持ちを分け与えてくれる、そんな人だった。
その叔母の容体が急変し、もう難しいかもしれないという知らせを受けて亡くなる半月ほど前に会いに行った。
ガリガリに痩せてしまっていたが、モルヒネを打っていたこともあり、また、元々気使いの叔母は精一杯の笑みで私を迎えてくれた。
病室では絶対に泣かないと言い聞かせていたので叔母の足をホットタオルで拭いたりクリームを塗って顔をきれいにしたり。普段と変わらない時間を過ごした。
帰らなければならない時間が来た時。
「また来るね」
と言った私の名前を呼んで
「ね。子供は授かりものだから。あまり考えずに。ただ、大切なのは夫婦だから。一番大切なのは夫婦2人だから、旦那さんと仲良く。いろんな事を旦那さんと楽しくね」
と痩せ細った手でギュッと握って力強く語ってくれたあの顔や言葉はきっと一生消えない。
病室を出てから涙が溢れ出た。止まらなかった。
もう会えないのだ。きっと。と思ってよくわからないグジャグジャな感情になった。
叔母には私の流産の話は伝わっていない。でもきっと何かを感じていたのだろう。
そして『大事なのは結局夫婦だ』とはっきりとした言葉で私の人生の一つの指標を示してくれた。
そして自分はあまりいろんな所へ行けなかったから少し後悔している。人生を楽しんで欲しいといつも言っていた。
結婚にも勿論いろいろな形があって、我慢して自分が相手が壊れるくらいなら別れたほうがいいという考えは今も変わらない。
でも、今隣にいる旦那ともっと向き合ってもっと二人で楽しんで生きるために『頑張る』という考え方に変えることができた。
二人でなるべく楽しく笑っていられるように「する努力」はきっと間違っていない。
何かが起きない限りは、子供がいようがいまいが結局残るのは夫婦だ。
せっかく出会ってそれなりに大変な思いをして一緒になったのだから。
きっと叔母は、その先に『自分を大切に』という事を言いたかったのだと思う。
いつもいつも周りを気遣う人だった。
人生に彩りをもっともっと持たせていくためには知らなくては行けない事、目にしなくてはいけない物がまだまだ限りなく沢山ある。
勉強しなくてはいけないこともまだまだある。
命ある限り自分に沢山栄養を与えていきたいと思う。
例えばこのまま私が親になれない人生が決まったとしても、彩りがある人生を歩めるように種を植えておかなくちゃいけないな。と感じたのはいうまでもなく叔母のおかげだ。
視野を狭くしないように。
世界は自分の想像してるより確実に広い。
だけど今の自分も否定しないように。
消えることのない叔母の魂は私の中に深く、そして彼女の微笑みのように温かく刻まれた。
感謝しきれないほどに、感謝しています。
ありがとう。