私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

40、推し量れない

これもまた少しだけ前の年末頃の話になるが、以前

「安定期入りました(マタニティーマーク写真付き)」事件

で疎遠になっていた子に偶然遭遇するということがあった。

 

遭遇するというより、ワンコを散歩させてる前を小さな女の子の手を引いてゆっくりと歩いてる見覚えのある顔を見て、ハッとしたのだが実は初めは通り過ぎた。

 

気づいたのだけど、起った事やとても傷ついたこと、そしてきっと彼女自身にも想いがあってどこか感じてる事があるだろうことがわかること。

多くのことが頭をよぎりすぎてその場から自宅近くまで足を止めることができなかった。

 

でも、その時

こんな偶然にもきっと意味がある、と思い返した。

 

どこか喉につっかえたものがずーっとある状態だった彼女との関係性を変えるとまではいかなくても、今は少し冷静にあの時こうだったからこうなってしまった、と伝えることができる状態に自分は戻っていると思えたのだ。

 

彼女の向かう先は何となくわかる場所での発見だったのでワンコを連れて急いで戻ることにした。

 

『きちんと思ったこと、起こった事を話そう』

と、緊張しながら彼女を探した。

 

小さな女の子とゆっくり歩く彼女の後ろから声をかけた。

 

死ぬほど緊張した。大袈裟ではなくスローモーションがかかっていた。

 

私の顔を見るなり彼女の顔は真っ赤になって泣きそうになっていた。

 

やっぱりそういうことだったのか、と私は思った。

きっと自分がした事で私の様子がおかしくなったことには気づいていたのだ。でもその後、何も言えなくなってしまって彼女自身も悩んだのかもしれない。と。

 

今になって冷静になって考えてみれば仕方のないことだったのかな。

まぁ、あの投稿はやっぱり今でも私のような立場じゃなくてもあまりいいものではないとは思うけど、彼女は授かったことが嬉しくて勢いで投稿してしまったのだろう。

すぐにお互い、

 

「ごめんね」

という言葉を交わし合った。

 

私も彼女を悩ませたことに違いはないのだから。

 

少し時間があるということで話をしようという流れになった。

横には小さくてカワイイ女の子がいる。私に対してどこか気まずい空気があるのは仕方なくその辺は結構慣れっこになっているので、逆に『気を使わないで』とまず彼女に投げかけた。

これは私の印籠のようなものだ。

目に入らぬか、とまず見せておけばほんのちょっとだけどその場は一件落着とまではいかぬが落着した空気を醸し出すことはできる。

『子供まだ授かってませんが何か?』

という印籠は先に見せておくのが得策だ。

 

実はその後も流産を繰り返したことや、精神的にも肉体的にも回復するのにとても時間がかかっている事。そんなこんなであの時に彼女の投稿に深く傷ついてしまったと正直に話した。

 

その後は彼女も妊娠・出産と大変だったという話を聞きながら、前と変わりない会話を交わせていた気がしていたのだが・・・

彼女のその可愛い小さな女の子が少しぐずり出した時、何度もトイレに行きたいと行ってそれを繰り返すうちに彼女の口から

 

「子供、別にいなくてもいいかもよ〜」

 

という言葉が出た。

 

正直面を喰らった。え?冗談言ってるのかな?と一瞬思った。

 

確かに大変そうだ。いや、子育ては大変が当たり前できっと人生での一番の大仕事だ。産後鬱やら子育てノイローゼ的な話も少なくない。

だけど、私にそれを言うのはやっぱり、やっぱり、おかしくないか?

 

彼女への疑念は確信に変わってしまった瞬間だった。

 

大変でも、苦しくても望んで欲しくて願って授かった子供。

しかも今その瞬間『ママ、ママ』と寄り添っている状態。

そして子供が授からず何度もお空へ行ってしまったと話した私の前で吐き出す台詞としてはあまりにもナンセンスだし、少しその子が不憫にさえ感じてしまった。

 

きっとこういう人は多いのだろう。そりゃあ当たり前に普通に授かったのならその後の子育てについて『苦』を感じる割合の方が断然多いだろう。

だけど、私はこの文章たちを通じて伝えたいことはやはり

 

『授かれたことの奇跡をもっと感じてほしい』

 

という事。

そして彼女に今言いたいのはそれがままならない友人がこんなにそばにいるのだから感じて欲しかった。せっかくなら私を通して学んで欲しかった。

どうやらそういう推しはかる余裕がなくなってしまったのだろう。悲しかった。

 

だからこそ、また考えてしまった。

 

『親になるってどういう事なんだろう』

と。

 

結局その後、彼女とはまた連絡は一切とっていない。

きっともう以前のような友人関係に戻ることはないと思う。

 

でもこの偶然の再会で自分のつっかえていた一つが精算されて本当に良かった。本当に偶然ではなかったと思う。

 

友達は少なくてもいい。変わっていくのが当たり前かもしれない。

大事な心がつながっている人が一人でもいればラッキーだ。

私はもう既に一人そんな親友に出会うことができたからそれで幸せだし恵まれているなぁ、と心から感じる。

 

どうか、この偶然再会した彼女がこれから一日一日成長していく子供と過ごす中で毎日『奇跡』が起きていることに気づき、日々大変なことがあっても命をあげたいと思えるそんな温かい心をきちんと得ることができますように。