私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

42、純粋なままではいれない

こちらの文章でちょこちょこと書いてることだが、私の趣味の一つに『ゲーム』というものが大きく存在している。

 

一人っ子だった私は父がまだ二四歳という若さで出来た子であり、父は若さ故?か私を子供として、というよりもどちらかといえば一緒に遊ぶ『小さな友達』という感覚で育てられたイメージが強い。

そんな父も昔からテレビゲームが好きでファミコン発売当時はいち早く購入し、マリオブラザーズに『おーおー』と言いながら興奮してプレイしていた記憶がある。

 

私がある程度大きくなってからは

 

「こいつが欲しがってたから」

 

と私をダシに新作のハードやらソフトを買ってきていた。

 

そんな少し子供っぽい愉快な父と『遊ぶ』中で女の子だった私だが、趣味がもっぱら男の子向けのものが増えていったのは必然だったと思う。

その中の一つがこのテレビゲームだ。

 

四十路前になった今でも父とは新作のゲームの話を交換しあって盛り上がっている。

 

旦那と結婚してからも、夜に一通りの家事仕事を終えて缶ビールをシュパッと開けて私がPS4の電源をピッと入れてプレイしているのを旦那がみている。

というよく考えてみれば謎のルーティーンが完全に成り立っている。

彼がプレイすることもたまにあるが、基本『RPG 』とか『アクションRPG』といった物語仕立ての物しかやらないので、その内容を見ながら酒を飲むっていうのが楽らしく、

たまに

「早く先を進めて欲しい」

的な事も言ってくるほどだ。

まぁ、簡単に言えば映画やテレビドラマを実際に自分で動かしながら夫婦で楽しんでるといったところか。

そんな時間が私は今とても好きでストレス解消になっており、そこに我が犬(ゲーム時は不満げ)も加わってからはさらにその空間がちょっとした『幸せ』を感じる空間になっている。

 

今ちょうどやっているのがこれまでは戦闘ゲームが中心だった、かのドラゴンボールが初めて出したRPGアクション式の『カカロット』というやつ。

ドラゴンボールの世界を自分が実体験しながら修行したり料理してパワーアップしたりとなかなか良くできたゲームだ。

 

ドラゴンボールの話はこれまた父の影響でアニメや漫画も趣味の一つになってる自分には当たり前に焼きついていたので、その先の展開は勿論もうわかっていてプレイしているのだが、自分でも面白く思う『感じること』の違いがある。

 

小学生の頃、初恋の相手はそんな二次元の孫悟空で、その孫悟空がチチとさらっと結婚した時は本当に初の失恋気分を味わったという自分でも可愛らしいわぁ〜と思う思い出があるのだが、今この物語をもう一度辿っているとこのおなじみの孫悟空という主人公に時々イラッとする瞬間がある(笑)

 

ヒーローは当たり前のように強く、素質があって、勿論努力や苦労もするのだけど基本の潜在能力が高く頂点に君臨し『世の中を救う』展開というのが一応の鉄板。

そのヒョイっと現れてはどんどこ強くなってその限界を『純粋無垢』に超えていくヒーロー孫悟空が今の私からしたら

『おいおい』

と思うところが多数なのである。

 

いやだな。大人になるって。純粋無垢なものに疑問を感じて少しイラッとしてしまうなんてなんて悲しいことだろう。

 

そこのところでコイツはっ!

 

とグッときたのが

 

『ベジータ』なのである。

子供の時はただただ横暴で怖い俺様の敵キャラとしか思ってなかったこのベジータにものすごく同情というより共感してしまう事が多すぎる。

自分はできる、一番強い宇宙の王子なのだとイキリだっていた彼が純粋無垢な主人公にどんどん先を越されは落ちて奮起し、また越されては悔しい想いで奮起し・・・・それでもいつまでたっても追いつけない哀愁の俺様になっていくのだ。

 

ここに自分を投影させるのは全くもっておかしい事なのはわかっているが、どんなに努力しても自然とヒョイっと先を越され、なし得てしまうライバルの背中を追う事でしか奮起できない立ち位置にどうも心が持ってかれてしまう。

彼はコンプライアンスなんて引っ掛かりまくりの物凄い汚い言葉を使うのだけど、なんだかそれも暗闇くんと絶賛同居中の私には爽快でたまらなかったりする。

言えないことを汚い言葉でスカッとゲームをしながら発散してる気持ちになってる瞬間があって、時に

 

「おっと、やばいやばい」

とハッとするなんて時もある。

 

とにかく40年ほど生きてきて、子供の頃に思い描き、憧れていた事とは全く違うモノの見方、感じ方になってる事にこんなことを通して気づいた。

そりゃあ、色んな経験をして色んな感情を否応なく生んできたら誰しもそうなるだろうと思うけど、こうやって大人になって目が曇っていくのかしらと感じて悲しくもあった。

 

でも、いい事・悪い事を経験しそれで学び得た物事から必要なスキルだけを選んで足していくなんてゲームみたいなことは実際はできるはずもないし、それができたとしてもとてもつまらない人間になってしまうだろう。

 

ずっと純粋無垢な犬や猫とかとは違う複雑な感情を持っている人間だから『悪しき事』『濁った感情』『灰色の見解』といった一見良くないと思いがちだが、世界を広め学ぶための課題を与えてもらう事ができる。絶対的に必要な事なのだろう。

 

それらとどう向き合うか、付き合うかはそれぞれだ。自分をどう形成していくかはやっぱり自分で考えていかなければならない。

今の自分を受け入れられないという人は沢山いると思うけど、よく耳にする

『初心に帰る』

というのはこうやって子供の頃に感じていた事とどう自分が変化してるかを一歩引いて分析する事なのかもしれないな、と思った。

 

ベジータが後々になんだかんだと地球に馴染んで、アロハシャツを着だした姿はなんとも今の私には微笑ましい姿になってるのだ。

 

そして最後、自分の命をかけて家族を守るまでになった彼が今は一番熱い(笑)

 

『くそったれが!』