アーユルヴェーダの事を知る前から、不眠に悩まされていた私はそれこそミーハーな話だが『マインドフルネス』というものを知り、本を読み、実践してみたりしていた。
瞑想って奴だ。
若い頃は当たり前のように何も考えずにテレビを眺めたりしながら気づいたら寝ていた!なんて今では喉から手が出るほど欲しいスキルが普通に炸裂していて、『寝る前には明かりは暗く、とかブルーライトは控えて、とかキャンドルの灯を灯しながらリラックスできる香りを焚いて、瞑想。』
なんてちょっとヤバイ奴がやるやつじゃないかくらい思っていた。
寝るための努力なんて事をするようになろうとは考えもしないほどよく寝る方だったと思う。
それが突然、一番できないことに変わってしまった時。落ち込んだものだ。
スピリチュアル的なものにどっぷりとはハマった事はないけど、どこかそういったものは存在するのだろうくらいに漠然とは考えていたので一番体と心がぐちゃぐちゃしてた時は、その類の本をやたらと読み漁ったものだ。
何かにすがりたくなる時、指針を示してくれるモノによくも悪くもハマってしまうのは人間の真理だ。
マインドフルネスがうまく活用できてるかというと違うと思う。
これにだって向き不向きがあって私の性格上は『いま、ここ、だけに集中する』がなかなかできなかった。
色々と気になって仕方がない。それを受け入れろと言われても、受け入れた瞬間に
『あれやらなきゃ、これやらなきゃ』と体が動いてしまって瞑想どころじゃなくなるからだ。
ただ最近、よく眠れるようになったのは紛れもなくこの『瞑想』的な事を自分に、自分のやり方で取り入れてからだと思う。
アーユルヴェーダではよく語られるマントラと言われる要は『コトノハ』的な言葉がいくつかあってそれをただ頭で唱えるというもの。これにもいくつかの種類が存在するようだ。
それだけを唱えてると、自然に他のことは頭から抜ける。
そして自分の体に話しかけて感謝する。今日食べられた事に、その食材の命に、それを体に入れて自分自身を動かしてくれる事に感謝する。これはハワイ古来のホオポノポノの一つから自分で勝手に集約して行ってる工程。
体に沢山、この何年かに負担をかけてしまったからこそ申し訳ない・ありがとう。と語りかけることがとても大切だという。
それだけ。
「いま、ここ、この瞬間」
が実践できなかった私はただ頭でこれを想ってから床に着くと不思議とあっという間に眠りに入ることが出来るようになった。
減薬ができてきたのもこのお陰が大きい。
いいか悪いか、本当か嘘かは置いといてスピリチュアルの代表格的な存在の美輪明宏が言っていた
『感謝の言葉が全てを共鳴させる』
というのは納得がいく。
辛い時に、ボコボコにやられてる最中に笑いながらありがとう、と言えるほど出来上がってる人間でもドMにもなれないが、心に少しでも余裕がある時は『感謝』を唱えるだけでポッと何かに包まれる気分になるのは間違いない。
これは他人に対してもだが一番忘れがちな『自分』に対しての感謝だ。
自分の不幸を嘆き、自分の情けなさを責め、自分の力のなさに落胆する。
それを繰り返しすぎて私は暗闇くんと友達になってしまった。
だから少しだけ回復できるようになってきた今、眠りに入るほんの少しだけ自分に感謝してみようと思った。
辛い思いから一応ここまで少しだけど這い上がってきた自分の事を褒めてあげようと思った。
当たり前だけど、こんな事をわかりやすく褒めてくれる人なんて大人になったら周りにはいない。
自分だけだな、という事にはたと気づいたのだ。
『自分を愛しなさい』
というよく聞くあれはこういう事だろうか。
聖書の類を読んだ事は少ししかないからわからない。
あれが正解とも言い切れない。だってそのせいで起きた戦争もたくさんある。
信じる力は強固なるモノであるが故に素晴らしくも脅威にも変わる。
自分を愛する事。
ヒトを愛する事。
そして我が子を愛する事。
私が一番納得させられた言葉、それは実は
『愛とはその人やモノ、相手の「命を」愛しむ事だ』
と言ったあの金八先生のセリフなのだ。
どんな偉い神様より教祖よりこういう身近な存在のしかも実在しない人からの方が深い言葉が飛び出す。
それは、そういう作品を作り出している普通の『人間の心』に答えが備わってるからかもしれない。