お風呂に入り、1日の終わりをゆっくり迎えようとしていた時、一通のLINEが入った。
久しぶりの相手からだ。
かつて私は音を、そして歌を仕事にしていた。
どこか取り憑かれたように勉強してちょっとした進学校に入った身だが、そこで見事に燃え尽き症候群か一気に勉強することが億劫で面倒くさくて成績は落ちる一方だった。
軽い気持ちでサボった模擬テストの日に、担任から母へと電話が行き中学生までは真面目一直線だったために帰宅した時に母は悲しいと泣いていたものだ。突然のお勉強リタイアに母も驚いての涙だったんだろう。
そしてその『もう受験めんどくさい』燃え尽き感は高校3年になっても持ち合わせたままで、周りがこぞって受験勉強へと向かう中でも私は全くその気持ちになれなかった。その時すでにやりたいことの種が私の中にはあったのだ。
これも父の影響で小さな頃から音楽が好きで色々聞かされていた。
一方母の考えでピアノを習ったりとクラシックに触れてる面もあった。
まだ幼稚園生だった頃、魔法少女的なアニメが相当流行ってた時代の中『クリィーミーマミ』という、変身してはアイドル歌手になって魔法を使う主人公にそれはもう憧れたものだった。マミちゃんになりたかった。
中学時代からはカセットテープに好きな音を編集してmixしたり、その後は懐かしのMDに季節ごと場面ごとに聞きたい曲をプレイリストにするのが楽しくて仕方がなかった。
そう。歌いたい。歌、音楽を仕事にしたい。
漠然とだがどこかハッキリとそう思っていた。少々嘆く母をよそに大学受験はせず音の世界へ入った。
勿論薔薇中の薔薇の道であり、アルバイトをしながら曲を作りスタジオに入って練習して、ライブハウスで「裸足」になってはライブをしまくる。そんなバンド活動をする年月がなかなかに続いたものだ。
車で何時間もかけて九州まで降り立って車中泊したりパチンコ屋で顔を洗うなんてザラだった。その経験のお陰で結構強くなった部分は多いと思う。
しかも女はいつも大体私一人。そしてありがたいことに私を女としての扱いは一切せず、仲間として付き合ってくれた。本当にありがたい仲間に恵まれた。
さて、その久しぶりに連絡をくれたのはそんな活動の中で出会った他のバンドのボーカル仲間だった。彼は今も仕事をしながらギターを持っては歌い語り、バンドでも時々活動をしている。私から見ると無垢で真っ直ぐな性格の人だ。だから昔からそんな彼の音楽への姿勢に敬意と憧れを抱くことが多かった。今もそれを自分の一部として当たり前にしている彼はすごいと思う。ちなみに結婚はしていないのだけど。
「また久しぶりにみんなでワイワイしたいと話してて」
という内容だった。
今の自分にとってこういう連絡はものすごく嬉しいものだ。
音楽、しかもバンド業界なのでほとんどが男社会。元からその中にいる方が楽だったのもあるが、今は特にこの男社会そして『子供』とか『家族』などとかけ離れた懐かしい自分の感情を引き起こしてくれる場所がありがたい。そう思った。
実は少し軌道に乗り始めていた音楽活動をお休みしたのも私が
『子供が欲しい』
と強く思ったからである。その時もう30代半ば。性格上、どちらも両立ということが選択できなかった。急がなきゃという思いで音の仕事から一線を引いたのである。今思えばそれも良くなかったのかもしれない。妊活のことしか頭に入れなくなってしまった。
今でも時々思い出す。誰かの前で歌を歌っていた感情。思いを音に作り落としていた毎日。とにかく多くの人に伝えたくて、その為に必死で働いたりした。
大変だったけどあのキラキラと真っ直ぐに何かをつかもうとしていた気持ち。
歌は、音楽は『辞める』なんてことはきっと存在しない。現にその仲間たちの中には家庭を築いてる人たちもいるけど時々集まっては大好きな音楽に敬意を示すように表現しては変わらず愛してるようだ。
女はそういう所ホントだめだ。そうじゃない人も、変わらずやれる人も沢山いると思うけどどうしても『子を産む』という人生の大きな行事を前にすると、やりたい事と天秤にかけては悩みがちだ。純粋に好きだった事に蓋を閉じないと、と考える。
まぁ、それを無意識にさせてしまう結婚観念みたいなものが強い国だからというのもあるのだけど。
私は彼に返した
「ワイワイしたい!歌いたい!騒ぎたい!」
と。
今背中に背負ってるものを一瞬でも下ろせる『懐かしい』感情を引き起こすことはとても大切かもしれない。
歌を歌いたい。曲を作りたい。
そんな気持ちも少し湧き起こった。
そうだ。私はそれが大好きだった。
と思い出したのだ。
どうして忘れてしまうんだろう。
焦りや、悲しみは大好きだったはずの事を頭から一番先に消してしまう気がする。