「面白い」「はまる」「すごい人気」と耳にタコができるくらいに周りから聞いていた『鬼滅の刃』をついに始めてしまった。夫婦で。
単行本さえなかなか手に入らず、しかもこの後映画化が予定されているらしい人気っぷり。
しかも二人の子持ちの親友から、
「鬼滅の刃、見てますか?映画始まったらご一緒しません?」
という知らせが少々前にきた。
なぬ!?そんなにか・・・・。
不要不急の外出が制限されている今、他の推薦者が言ってたように動画配信サービスで見てしまおう!
ということで始めてしまったのである。
はい。それは見事、お見事にハマってしまいザザザザと放っておけばずっと見続けてしまうであろう中毒性タイプの物語だ。
勿論随所随所に「あるある」や今までの人気漫画や映画や本と似ている、と思わされる部分があるのだがちゃんとそこを新しく違う表現で描かれている。何より主人公が絶対的ヒーローではなく『超努力型』という共感を得る新しいタイプなのだ。
旦那は随所随所が「ジョジョ」に似てる!とか言いながらも「次まで見ちゃいましょう」というおハマりっぷり。私はどこか脳裏に手塚治虫の「どろろ」がずっとよぎっていた。子供の頃初めて読んだ手塚作品がこの「どろろ」でそれはもう衝撃的で怖くて、それでもハマってしまっては何度も読み今でもよく覚えている。
二人して、これハリーポッター的!とかドラゴンボールのあそこじゃね?とか会話しながらも結局『鬼滅』の世界に引き込まれてしまったのだ。
世の中でいいとされるものにはやはり人を引きつける何かがあって、まがりなりに音楽の世界にいて『ゼロ』から何かを作り出す制作者、創作者として苦しんだことがある身としてそこを探るのに必死だった。
やりたい事と、売れる事、認められる事というのはほぼ一致しないと言っても過言ではないと思っている。
そこを重ね合わせるのは並大抵のことではできない。
だから世の中に出てる『ミーハー』と言われようが売れている人、物事に対して私はリスペクトの心が強い。
そしてある程度のものが出尽くしてしまっている現在は、こういった漫画や映画、そして音楽。ドラマや絵画、本や全ての芸術品、等においては『既存の何か』に『新しい何か』を入れ込む技術や才能が必要なのだと思う。
その柔軟性が才能になってるのではないかと思うのだ。
何にしても、誰になんと言われようと、そして好きなことをできるようになるまでには『我慢』も必要で自分の表現したい事とは違うものを要求されることの方が多い。
そこを掻い潜り、人の心を掴む何かを作り出し表現してる人たちは本当にすごい。
この『鬼滅の刃』にはそれが全て詰め込まれてる気がした。
だから人の共感を得てこんなにも人気を博してるんだと思う。
とにかくその世界に入り込んでしまったわけだけど、『先が気になる』気持ちをいただけたことにこれを創造し製作して世に出している人達に感謝を覚える瞬間でもある。
それは『楽しみに待つ』、という小さな幸せの種なのだ。
特に今のこの苦しい状況下、こういった人の創造物が人の心を救っているのは言うまでもない。
そして、週末の外出自粛要請を受け買い溜めをしまくってる人たちや余計に集まって騒いでる若者たちが鬼滅でいうところの『鬼』にしか見えない。
おどろおどろしい匂いを身に纏って人を喰い尽くす鬼となんら変わりない。
斬ってくれ、『水の呼吸 弐の型 水車』あたりで。