コロナウィルスで闘病中だった志村けんさんが亡くなった。
近所のスーパーに買い出しに来ているときにふと、携帯を見たときにこの訃報を知った。
恥ずかしながらマスクの中は鼻水だらけ。外だったけど目も真っ赤になるくらい涙が出た。
一連のコロナ関係のニュースの中で一番心がざわざわし、急な喪失感と不思議な孤独感にかられ、なんとも言えない暗闇が近づく音がした。
芸能人の死で涙したのは初めてかもしれない。
日本の宝であるお笑いの神様がコロナに殺されてしまった。
当たり前のように定期的にバカ殿様やだいじょぶだぁが今でも放映され、それはとにかく『当たり前』だった。
人間はいつか誰でも死ぬからそれが永遠とはもちろん思ってはいない。
しかし突然その『当たり前』が遮断され、皆が受けてる喪失感であるだろうに急激な孤独感に駆られたのはなぜだろう。
きっと本物のスターというのはこういう人のことだ。
当たり前にそこに存在して、永遠にそこにいるであろうと錯覚させるくらいに人に染みつくことだ。
志村けんさんの笑いは日本国民のどの世代にも受け入れられるもので子供の頃から、そして今になっても腹を抱えて笑えるものがあった。
あれだけ多くのギャグやキャラを作り出し、それを国民のほとんどが認知しているというそんな『喜劇王』はもう後にも先にもいない気がする。
だからみんなの思い出や共通の話題・認識があり『人々の一部』と化しているくらいだったからの「喪失感と孤独感」であったかのように感じた。
でもどうしよう。心のざわざわが鎮まらない。
もう見れないのだ。作品は永遠に残るというが、そこにまた新しく登場してくれる志村けんさんがもういないのだ。
知り合いでも顔見知りでもないのにこの喪失感はなんだろう。やりきれなさはなんだろう。親戚のおじさんが急に亡くなった・・・そのような感覚に近いのか。
苦しい。
もはやこのコロナ騒ぎは戦争だ。
他国の医療現場の様子を見ていると戦争以上に人を蝕む恐ろしい未曾有の災害、人災。
どうしよう。一気に心が暗闇になる。
でも、この志村さんの死でコロナウィルスの真の恐ろしさを感じる人も多いだろう。
それほど影響力を持つ人だ。
うだうだと国民のモラル、自粛観念に頼ったまま、バシッとはっきりとした政策を、補償問題を打ち出せずにしている上の人間よりもよっぽど強い警鐘を鳴らした。
国民の宝である命を使って。
スターだ。真のスターだと思う。
だからこそコロナが憎い。はっきり切って発症させて広めた国が憎い。
そして大体、この世の才能溢れ、人々に必要とされる「神に近い」天才は早く命を取られてしまうように感じる。
人々が崇める絶対神的なものがどこかに存在するなら、わざとだろうか。
その才能が怖くて取り上げるのだろうか。
そしてそういう人ほど、悲しい最期を遂げる。
志村さんは最期のときも親族は顔もみれず、早急に火葬され、骨を拾うこともできないらしい。
もちろん志村さんに限らずこのコロナで亡くなってる多くの人がそのような最期を遂げているのだ。
心が痛くて張り裂けそうです。
沢山数えきれないほどの幸せをもらいました。
本当にありがとうございました。涙が止まりません。
ご冥福をお祈りします・・・・。