私は親になれない

流産を3回経験し、絶賛『鬱病』闘病中・子なし四十路女の小言。それでも切実に伝えたい事。この日本でも個人での自由な生き方がもっともっと当たり前になりますように.....。

94、ほどけない

なんとも言えない気持ちになって久しぶりに意図的に抗うつ剤を飲むことにした。

もうほぼほぼあまり作用しない程度の減薬にたどり着いていたのでどこか悔しい気持ちだったが、暗闇くんとの親密度が上がるのは今現在は特にごめんだ、と思いちょうど飲んでもいい日数が経ってもいたので投与。

おかげでちゃんと(ドーピングしてだけど)寝る事はできた。これだけで心を保つ体力維持には助かるのだ。

 

よく寝れたこともあって前日に久しぶりに一頻り大泣きした割には心はマシだった。

 

上手に起きた事を受け流そうと思った。自分を責めずに悲観せずに今日1日過ごそうと決めていつも通りのルーティンで家事をこなし、息子犬の散歩を終えた時。母から電話がきた。

 

昨日、一人でまた心が塞がっていく感情を味わった時。これではまずいと母に電話した。

いい年こいて母親にこんな事で連絡するのは心の底から憚られるのだが、話せる相手がいない為に一瞬でも吐き出さないとマズい方向にいく、と経験済みなので母には了解をとって時々電話をかけるようにしていた。

 

起きた事、久しぶりにとても傷ついた事を伝えて電話を切った前日だったので心配で次の日の昼前にまたかけてきた。

『なんて親不孝なんだ』とこう言う時に毎回思う。

 

母は私の心が荒んだり、人を恨めしく感じたりそうなっていく事が一番よくないと言った。

その子たちは悪くない。理解されないのは仕方ないことだと言った。とにかく仕方ないと。

だから私にはやはり新しい生き方、新しい人間関係を築いていって欲しいとも言った。

 

何も間違っていない。

全部わかってる。

誰も悪くない。

 

それを繰り返し言われている時に過呼吸に襲われた。死にそうだった。

そこに息子犬が寄ってきて首を傾げた。

また息子犬に助けられてしまった。

ごめんね、ママがいつも泣き虫で。と抱きしめて過呼吸は少し治っていった。

情けない。

 

だけど、こう言う時、私は両親の言葉が結構キツく、最終パンチをくらう事が多い。

割と前向きに行こうと推してくれる二人。ありがたい時にはとても助かる。

 

ただ、流産の経験もした事がある人にしかわからないように『鬱病』の苦しさも絶対に経験した人にしかわからないと思う。

 

自分が暗闇に行く事を必死に抑えようとしている時。性格上、いい子でいなきゃと、頑張って元気にならなきゃと踏ん張りすぎて糸が切れた自分としてはやはり一番きつい言葉として受け取ってしまうのだ。

 

もちろん私を思って言ってくれてるのは重も承知だ。

けれどわがままかもしれないけど、こう言う時には味方でいて欲しい。

「そうか、それはひどいね。辛かったね」

とい言って欲しかっただけなのだ。きっと。

 

誰も悪くないことなんてもうこの4、5年で心中に折込済みなんだから。

 

親子の関係も色々ある。そして難しい。

親も一人の人間だ。色々経験すればするほどそう思う。

いい意味で距離を取るのも今の私には必要なことなのだと思う。そして心療内科の先生もそういっていた。

 

子も親もお互いを思いすぎると、他の人間関係と同じでこんがらがって解けなくなる。

私自身は親側にはなれていないが、一番の理解者になるのはもしかしたら一番難しい存在なのかもしれない。

これはいい意味で。